今、改めて考えるラジオの魅力
ラジオの魅力についてはそれぞれの意見があると思うが、今回は僕の思う魅力について考えていこうと思う。
今回はアニラジに限った話ではなく、ラジオ全般の話ということで。
先日、『マイナビニュース』でこんな記事を見つけたことが、今回の記事を書くに至った要因である。
news.mynavi.jp
当然僕は以前から「ラジコ」を使っているので「いまさら?」なんて思ったりもしたが、ラジオ人口が増えるのは素直に嬉しい。
それと同時に『最近』を強調されるとなんだか寂しいな、なんて思ったり……。
まぁ、そんなことはひとまず置いておいて、ラジオの魅力についての話を進めよう。
偶然の出会い
ラジオは偶然の出会いをくれる。
例えば、音楽。
FM番組なんかだと結構な頻度で曲が流れる。それをメインとしている番組も多い。
そうすると当然いつもは聴かない曲が流れてきたりするわけだ。
全く知らないジャンルの曲。食わず嫌いをしていたアーティストの曲。
そういうものに触れられる。そして、そういう曲ほど聴いてみると案外気に入ったりするのだ。
そんなふうに、今まで知らなかったものを知れるのは魅力の1つだろう。
見聞を広めようと思っても興味のないものを知ろうとするのはなかなか大変だ。それなら偶然に頼ってみてはどうだろう?
音だけの世界
ラジオは『音と想像』で楽しむメディアである。
視覚情報がないから想像するしかない。
そして、当然その想像はリスナーによって異なる。100人いれば100通りの想像がある。
それがおもしろい。
また、映像がないので別の作業をしながら聴くというのが容易だ。
家事をしながらでも、勉強をしながらでも。
ほぼいつでも楽しめる娯楽だと言ってしまってもいいかもしれない。
BGMとしての心地よさ
僕は静か過ぎると作業がはかどらない。
こういう人って意外と多いのではないだろうか?
そんな時にラジオはいい。
パーソナリティの声をBGMに作業をするのだ。
個人差はあるようだが、完全な無音環境よりも自然音がある環境の方が集中しやすいという研究結果があるそうだ。具体的にはカフェなどがいいらしい。
これ、ラジオを聴いている環境がぴったり当てはまるのではないだろうか?
人の声が聞こえて、薄く音楽も流れている。静か過ぎない自然音というわけだ。
まぁ、そういう科学的なことを抜きにしてもラジオはBGMとして心地いい。
もしかしたら受験生がラジオを聴いているのもそういう理由からなのかもしれない。
広まれラジオ!!
最近、ラジオが再評価されているなんて話を聞いたりもするが、まだまだ僕らはマイノリティなのだろう。
ラジオ好きの中にはそれでもいい、と思っている人も多いと思う。わかる奴だけわかればいい。僕の中にもそういう気持ちはある。
しかし、そんな調子でもしもラジオというものが廃れてしまったら趣味が1つ消えるわけである。心に穴があく。
ならどうすればいいのか?
それは僕にもわからない。
しかし、「ラジオいいぞ」と言ってみるだけでなにか変わるかもしれない。
単純に「ラジオいいぞ」と言って「ラジオいいな」なんて返してもらえたら嬉しいな、という。それだけの話かもしれない。
自分が魅力を感じているものを周りに広めるのは色々ステキなのではないだろうか。